創作について

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 年を取りました。


 21歳になってしまいました。時間を基準としてそのラインを満たしたために社会的に分類された、それだけである……というのを痛切に感じられる感じに、21歳。成長ってものはなかなか実感できないまま、そんな感じで。でもやっぱそれだけの年数生きてこれたんだから、直接・間接問わず、お世話になった方々には感謝とか述べた方がいいのかなあと思います。そういう機会。

 さて、安米野通の創作の方がひどく滞っている、というか、ほぼ膠着状態、と言った方が正しい感じなんですけど、別に彼らだって死んだわけじゃなくって、私の頭の中では十分に生きていたりします。ということで創作について現時点で思ったことを少々書き留めておきます。
 某大手同人ゲーム・音楽作家の方で、作品の二次創作を大きく許容されていらっしゃる方がいますが、あの方が言う「自分の創作物は、自分が今まで見聞きしたものの二次創作」という言葉にどでかいマグニチュードで頷きまくります。結局得たものからしかモノって作られないなあと。
 ここからは頷く自分の脳味噌を開示した、いわゆる個人の雑感ってやつです。
 視野の広い、色々な世界を見ている人の創作物は、自分自身の作るモノの形を、作る本人が他と比較してちゃんと把握したうえで作っていそう節があると思います。だから、多くの人にわかりやすい、楽しい、伝わりやすい、その人が表現したいと思うものの選択がハッキリとしている作品ができているなあと感じられます。
 一方、視野の狭い…と言うとネガティブな言葉だけれど、狭く、深く……と言うモノの見方をする人間の創作物って、深淵にある微妙な色の違いとかが普通の人には行き届かないものだったりして、独特の中毒性があるなあと思います。その造形ってのはやっぱりとんがっていて、本当に言い方が悪いですが、公平なセンスで切り取られたりしないゾッとする形があったりして、感銘を受けます。
 視野と言う言い方をしましたが、少し言葉を変えてみると、各々が自分の作りたい形を選ぶために、世界に様々な考察を重ねたり共鳴を受けたりすることを重ねていくのがこの視野ってやつかなって思います。そして、この考察や共鳴について、それを行う本人の言葉で伺う事って本当に面白いと思います。
 そういうことに興味を持つ性分なので、自創作について影も形もないので偉そうな口叩くなと言われたらそこまでなのですが、私が現在頭の中で創作(というより”想作”と言った方がいいかもしれない)しているとき大切にしたいものの一つが、登場人物一人一人が持つ世界の考察方法と共鳴する姿だったりします。……定義があいまいなままそういうこと言っていいのかなあなどとも思いつつ。

 で、創作物に対してそういうコンセプトを持って行こう、という思いはやっぱ丸20年の時間をぼんやり消費した自分よりいずるものに違いないのでしょう。年を経る中であったりなかったことにされたり色んな創作をしてきましたが、どれも同じ自分の目や耳や肌から入って脳からデローンと出てきたものなんだなあなんて考えると、全て一続きにあるのかもしれません。だとすると、案外現在創作している安米野通自体、もう20年物の創作と言ってもいいのかも……

 と、そんな詭弁が許されるわけもなく、よそから見たら本編のないままの安米野通なのでした。そのうち何かの形にしたいね(といって何年目)。

 そんなこんなで今年もよろしくお願いします。頭やわくしていきます。